往復書簡002:東京から

季節の移りゆきは、都会にいても感じられます。先日、相模大野の居酒屋で口にした生ビールの金属臭に夏の終わりを直感しました。蝉たちの「死の舞踏(ダンス・マカーブル)」も山場を越え、アスファルトのうえに無残な亡骸をさらしています。秋のおとずれは、風にも雲にもあきらかです。庭には彼岸花も咲き始めました。
 あなたへの応答を、こんなふうに季節のことから書き始めたのは、妻有の「初秋の空」が、あなたに与えた感動の木霊にほかならないのですが、しかし、それにしても、なぜ、ぼくたちは、夏の終わりが秋の始まりでもあるという年々繰り返される当たり前のことに感慨を覚え、ときには新鮮な驚きさえ感じるのでしょうか。
 この感慨や驚きは、どうやら越境の意識にかかわっているようです。国境であれ、分水嶺であれ、大河であれ、年越しであれ、時代の変わり目であっても、境界を越えることは、しばしばスリリングな感覚を伴います。死後の四九日間が特別な期間とされるのも、生から死への越境にかかわる事柄です。こうした越境の感覚が季節の移り変わりにおいても、きっと、はたらいているのです。
 しかし、夏と秋の境界の見極めは、そう簡単ではありません。もう秋なのかという思いもつかのま、昨日のように真夏日が舞い戻ってきたりする。もう秋なのかという思いと、まだ夏なのかという思いのどこに境界を設ければよいのか。これは難しい問題です。死と生の境界も、脳死問題にみられるように一筋縄ではいきません。境界を線で表そうとすると、なかなかうまくいかない。曖昧な部分が残る。
 思うに、境界というのは――「四十九日」の例が端的に示しているように――線よりゾーン(地帯)として捉えるべきなのかもしれません。ゾーンというのは、いいかえれば境界が両義性によって成り立つということです。季節についていえば、「もう」と「まだ」という相反する二つの意味を含む両義性ですが、一般化すれば、境界設定の作業が、切断であると同時に結合でもあるということに由来する両義性です。境界を設けるということは、一体的に捉えられてきたものの一部を、何らかの相違点に着目して区分けすること、つまりは、一体的なものに亀裂を生じさせ、何か異なるものどうしの関係態として捉え返すことでもあるわけです。たとえば、夏の終わりに秋のはじめを見出し、あるいは秋のはじめに夏の終わりを見出すように。

境界の両義性は、ジャンルの境界についてもいえます。いまから20年前、ぼくは、美術と美術ならざるものの境界が、どのようにして形成されていったのかということについて、明治時代のこの国を舞台に一冊の本を書き上げました。『眼の神殿――「美術」受容史ノート』という本ですが、長らく売り切れ絶版状態だったこの本を、「決定版」のかたちに仕立て直して復刻しようという話がもちあがり、この夏は、ずっとそのしごとにかかりきりでした。あなたへの応答が、こんなにも遅くなったのは、ぼくの筆無精のせいばかりではなく、じつは、この仕事の追い込みの時期にあたっていたせいでもあるのです。
 ところで、20年前に、この本を書きながら、ぼくが、繰り返し思ったのは、ゾーンであるはずの境界を、一本の線に還元してしまおうとする言葉の暴力性でした。この思いは、20年後のいまも何ら変わりありません。
 批評critiqueが、語源的に「分離」を意味するということは、ほんらい批評が境界を設けるしごとであることを示しています。これは、世間一般の常識にもかなっています。一般に批評家の役割は、作品の善し悪しを弁別し、悪しき作品をしりぞけることにあると考えられているからです。しかも、善し悪しの境界は、しばしば一本の線として表象されがちです。ところが、実際のところ、批評的判定は曖昧なグレー・ゾーンを残すものであり、したがって、単純に無価値なものを切り捨てるということもありえないのではないか。つまり、批評は、切断と結合の双方にかかわる複雑な作業として行われるべきなのではないか。こういう発想を、ぼくは『眼の神殿』以来もちつづけてきたのです。
 もちろん、批評は作品の善し悪しにかかずらうのみではありません。作品の解釈や、作品を生み出す時代状況、歴史的コンテキスト、さらには作品のコンセプトに関しても弁別的な思考を展開します。そして、このような弁別において、批評は、切断するだけではなく、あらためて関係をつくりだす(見出す)という、みずからの在り方を明瞭に示してみせるのではないでしょうか。
 あなたは、越後妻有トリエンナーレのようすを伝える前便のくだりで、アントニー・ゴームリーと塩田千春が、それぞれ、古民家の内部に蜘蛛の巣のように線材をはりめぐらすしごとをしていることにふれながら、「僕は片方の印象が残っているうちに、もうひとつも見ることができるように巡りました」と書いています。これについて、あなたは「ひねくれた態度」と、ちょっと自嘲めかして書いているのですが、ゴームリーと塩田のインスタレーションのあいだに関係の糸を張り巡らせるあなたの行動に、ぼくは批評における結合と切断の微妙な関係を、そして、批評家としてのスリリングで上質なセンスを感じ取ります。妻有の「特殊な環境」を敢えて忘れることから、今回のトリエンナーレに参加したというスタンスにも、同様の批評センスが感じられます。「方法としての忘却」ともいうべき、このようなアプローチは、切断によって新たな結合を作り出そうとする企てであると思われるからです。

今日は衆議院総選挙の当日です。国民が、自分たちを代表する政治家を選ぶ代議制民主主義representative democracyの山場です。この復信が、あなたの眼にふれるころには、すでに開票が終わっているはずですが、その結果がどうあれ、こういう場面にさえも「表象」representationという言葉が潜んでいることに、ぼくは興味を引かれずにはいられません。representationの翻訳語である「表象」は、原語を介して、ぼくらの関心を芸術の外部へと差し向けずにはおかないのです。
 美術から政治にまでかかわる幅広い意味をもつこの言葉は、従来、「芸術」や「美術」という言葉で括られてきた事象を、その境界ゾーンから捉え返すうえで、とても重要なはたらきをします。ということは、つまり「表象」という言葉が批評性を含んでいるということにほかなりません。「表象」のこうしたはたらきを、批評家としての互いの経験に基づいて――スタイルや発想の違いを踏まえつつ――ゆっくりと焙り出してゆくようなやりとりができるならば、この往復書簡は、「芸術表象専攻」の今後にとって、きっと意義深いものになるだろうと思います。
 来月5日の早朝に、ハイウェイを北西に進路をとって、一路、妻有へ向かいます。都市から山村へと、逃げ水のような境界を越えて。
 現地でお会いできるのを楽しみにしています。(8月30日)
北澤 憲昭