往復書簡004:ブリコラージュ

ずいぶんと応答が遅れてしまいました。失礼をお詫びします。ひとこと言い訳をさせていただけば、博士課程の院生たちの論文指導が大きな山場を迎えところに豊田市美術館の講演と集中講義の準備が重なって、てんてこまいの毎日でした。どうか、ご寛恕ください。

この10月にクロード・レヴィ=ストロースが天寿をまっとうしました。2008年11月に100歳の誕生日を迎えたのを機に、改めてその業績を見直す機運が盛り上がっていたところでした。ぼくも著作を書庫から探し出してきて机に積み上げ、昔の傍線を頼りに、ところどころ読み返したりしていたのですが、そのなかで、つい先日読み返した『野生の思考』第一章「具体の科学」は、ぼくらの専攻の行き方を考えるうえで何がしか資するところがあるように思われ、つい読みふけってしまいました。すくなくとも、前便におけるあなたの指摘――美術史や美学、あるいは既成の制作技術を不変の枠組として取り扱う構えを捨て去ることによって、これらの枠組の潜在的可能性や未知の魅力を現勢化しうるのではないかという指摘をめぐって考えるためのさまざまなヒントを、「具体の科学」は含んでいるように思われます。

 ただし、急いで断っておかなければなりませんが、レヴィ=ストロースに言及するのは、決して「芸術人類学」にあやかろうなどというつもりからではなく、むしろ、死没をめぐるジャーナリスティクな話題性に寄りかかって、ぼくらの専攻について考えをめぐらせてみようという魂胆です。まずは、名訳の誉れ高い大橋保夫訳を引用することから始めたいと思います。



美術家は科学者と器用人[ブリコルール]の両面をもっている。職人的手段を用いて彼はある物体[オブジェ]を作り上げるが、それは同時に認識の対象[オブジェ]でもある。
 

たとえば日曜大工においてしばしば行われるように、出来合いの事物やその断片を他の目的のために転用するような製作行為を、フランス語では、ご存じのように「ブリコラージュbricolage」(器用仕事)と呼ぶわけですが、レヴィ=ストロースは神話的(呪術的)思考を「知的なブリコラージュ」と見なし、これを、概念装置の整備された科学的思考に対置しています。すなわち、彼は科学と神話的(呪術的)思考を「認識の二様式」として捉えるのですが、いま引いた一節にあるように、美術がこれら「認識の二様式」のあいだに位置づけられるのは、レヴィ=ストロースによると、科学的思考が依拠する不変の関係態としての構造と、神話的呪術的思考が前提とする偶然的な物事(事物+出来事)との「精妙にバランスのとれた綜合」を美術が行うからです。彼は、その例としてフランソワ・クルーエという16世紀フランスの宮廷画家の《エリザベート・ドートリッシュの肖像》を挙げて、おおよそ次のようなことを述べています。シャルル9世王妃エリザベートのレースの襟飾は、その編み方において構造を体現しつつ、しかも、一過的な出来事性を――肖像はやや左寄り前方からの光を受けています――帯びているというのです。レヴィ=ストロースのパラディグム(範例関係)に沿って捉え返せば、この肖像画は、出来事という偶然の相を、構造の必然に基づいて描いているとい言い換えることもできます。 

「具体の科学」という文章は、いってみれば著者自身による「知のブリコラージュ」の実践といったおもむきがあり、それゆえ説明が込み入っていて分かりにくいところがあるのですが、ぼくなりにまとめていえば、以上のように説明することができるように思います。

絵画を神話的(呪術的)思考と科学的思考の中間に位置づけることで「認識のオブジェ」として捉える発想は、アレクサンダー・G・バウムガルテン以来の感性的認識をめぐる議論や、チャールズ・P・スノーの「二つの文化」論に、文化人類学の立場から新しい光を投げ掛けていて、とても興味深く思われます(科学論のエキスパートでもあるあなたへの書簡で「科学」に言及するのは何とも面はゆい!)。しかし、それ以上に興味をそそるのは、レヴィ=ストロースが、先に引いた自身のことばにかんして、「美術作品とはすべて構造と出来事の統合によって成り立つとするのははたして正しいか?」と自問し、神話的思考と科学的思考の中間に位置づけられるのは、西洋近代美術にすぎないと自答していることです。

 自分に対してこう答えたのち、彼は、美術を三つのジャンルに――西洋の美術、応用美術(工芸、工業美術、民芸)、そして神話的思考に対応する未開美術の三種に分けてみせるのですが、このいささか杓子定規な分類に先立つ節において、彼は、神話的思考の事例としてアウトサイダー・アートシュルレアリスムに言及しています。つまり、それらを、未開美術と同じくブリコラージュに拠るアートとみなしているわけですが、この見方は、アウトサイダー・アートシュルレアリスムにかぎらず、おしなべてアヴァンギャルド系現代美術に適用できるのではないかと、ぼくには思われます。たとえば、次のような幾つかの文章を読むとき、ぼくは、現代美術における制作手法やコンセプトワークの在り方を思い浮かべずにはいられないのです。以下、大橋訳によって当該箇所をブリコレbricolerしてみることにします。


ブリコルールbricoleur(器用人)とは、くろうととはちがって、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人のことをいう。ところで、神話的思考の本性は、雑多な要素からなり、かつたくさんあるとはいってもやはり限度のある材料を用いて自分の考えを表現することである。

器用人[ブリコルール]は多種多様の仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案され購入された材料や器具がなければ手が下せぬというようなことはない。(中略)そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。

神話的思索の諸要素はつねに知覚と概念との中間に位置する。
 
神話的思考も類推と比較をかさねて作業をする。ただし、器用仕事[ブリコラージュ]の場合と同じように、その創作はつねに構成要素の新しい配列に帰する。つまり、材料の集合の中にあってもでき上がりの配置においても、その要素自体の性質はかわらない。(中略)同じ材料を使って行なうこのたゆまぬ再構成の作業の中では、前には目的であったものがつねにつぎには手段の役にまわされる(以下略)。
 
神話的思考の特性は、工作面での器用仕事[ブリコラージュ]と同様、構造体をつくるのに他の構造体を直接に用いるのではなくて、いろいろな出来事の残片や破片、英語でodds and ends、フランス語でdes bribes et des morceauxと呼ぶものを用いることである。(中略)神話的思考は器用人[ブリコルール]であって、出来事、いやむしろ出来事の残片を組み合わせて構造を作り上げる(中略)。すなわち、所記が能記に、能記が所記にかわるのである。


思いつくままに例を挙げれば、たとえばヨーゼフ・ボイス――つい先頃、水戸芸術館で、1984年に来日した際の8日間にスポットを当てた展覧会が開かれて話題を呼んだボイスのしごとの多くは、まさにブリコラージュの手法を用いたオブジェです。また、ダイアナ妃が亡くなったパリのサルペトリエール病院のサン・ルイ教会堂に無数の椅子を高々と積み上げた川俣正の《椅子の回廊》は「そのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかする」手法で成り立っていました。カバコフやピーター・フィッシュリ+ダヴィッド・ヴァイスのインスタレーションも、高松次郎コンセプチュアル・アートも、あるいはアルテ・ポーヴェラやもの派にしても――それを神話的思考と結びつけて捉えるかどうかはともかく――すくなくとも「つねに構成要素の新しい配列に帰する」ブリコラージュの実践であったことは確かです。それから、『野生の思考』が書かれた数年後、1960年代の末に南仏で始まったシュポール/シュルファスの実験絵画も、絵画という「出来事の残片を組み合わせて構造を作り上げる」という点で一種のブリコラージュと呼んで大過ないでしょう。

とまれ、ここに名を挙げた作者たちは、油彩やテンペラや膠彩、あるいは粘土や大理石や木材などにまつわるメティエに依存することなく、「ありあわせ」の事物の配列や在り方を変えるアレンジメントによって、あらたな構造を作り出すことを試みている点で器用人[ブリコルール]の名にあたいすると思われるのです。

以上を、那覇のホテルで、クリスマス・イヴの前日までに書いたのですが、イヴは沖縄県立芸術大学の知己の方々と院生諸君と南米料理で素敵な夜を過ごし、7年もののラム酒で沈没。翌日の朝早くに起きて、さて次節に取りかかろうとPCを立ち上げたところで、暴風雨のために飛行機が遅延しそうだという情報が入ったため、2 便ほど早い飛行機に乗ろうと、そそくさとホテルを後にしたのでした。事なく帰京することはできたものの、待ち構えていた仕事に忙殺され、ようやく今日になって、改めてこれを書き始めるための落ち着いた時間を得ることができました。今は大晦日の夜更けです。しんしんと冷える静かな夜で、除夜の鐘も未だ聞こえてきません。

ブリコラージュという手法は、アヴァンギャルド系現代美術にかかわる言説にも見出されます。その典型例が批評です。つねに現在への批判的コメントを求められる批評家は「ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人」であらざるをえず、また、批評的言説は、それが、とりもなおさず状況へ向けての言語行為――現実に動きを作り出してゆく実践――だという点で「呪術的」であるということができるからです。

 研究分野に関していえば、カルチュラル・スタディーズが思い浮かびます。カルチュラル・スタディーズでは、新たな共同性への帰属意識を形成するガジェットを「ブリコラージュ」と呼んだりしますが、その研究手法自体が、レヴィ=ストロースの意味でのブリコラージュによって――つまり領域横断的に――成り立っていることは、よく知られているところです。

 カルチュラル・スタディーズばかりではありません。かつてジャック・デリダは、レヴィ=ストロースに言及しつつ、すべての言説は基本的にブリコラージュなのだと指摘したことがありますが、「学問」と称されるものも、つまるところ言説としてなり立つ以上、ブリコラージュ的在り方をまぬかれません。カルチュラル・スタディーズというのは、その最も明示的な事例にすぎないのです。美術史学も、芸術学も、つねにすでにそのような在り方を黙示つづけてきたということができます。ですからニュー・ヒストリーや、ニュー・アート・ヒストリーは、史学や美術史学が、みずからの成り立ちを際だったかたちであきらかにしてみせただけのことであり、べつだんどこにも新しいところなどないのです。そして、同様のことは、美術というジャンルを形成する伝統的な技法−材料――油彩画や膠彩画や彫塑のメティエについても指摘できるのにちがいありません。

 ぼくらが専攻に名を掲げた「表象」も、ブリコラージュ的といえます。あなたは、これまで、この言葉に明確な定義を与えることを避けてきたように、ぼくにはみえるのですが、そして、ぼくもまた、あなたと構えを同じくしてきたつもりなのですが、ぼくが、そうしたのは「表象」概念のブリコラージュ的な成り立ちと、ブリコレ的なはたらきとを大切にしたいと思ったからにほかなりません。representation という欧語を介してこの語が帯びる多義性――描写すること、再現すること、代表すること、上演すること、説明すること、想像すること…etc.――が、この語のブリコラージュ的在り方を端的に物語っています(ちなみにいえば、ジャン=リュック・ナンシーは、re-は反復の接頭辞ではなく、強意の接頭辞であり、したがってrepresentationは強められた現前化であるとさえいっています)。

 「表象」というブリコラージュ的な言葉で、ブリコラージュ的なアートを捉え返してゆくこと――ウロボロスの蛇のような、あるいは、遊園地のコーヒーカップに乗って、他のカップと撃ち合いを演ずるようなスリルに富んだ試みを、ぼくらは、大学という場で展開してゆこうとしている・・・・・そうですよね、杉田さん。

ドラスティックな変化が望めないからこそ「多少大げさな変化を想定し、しばらくのあいだそこであれこれと夢想してみるのも悪いことではない」というあなたの意見を、ぼくは、次のように捉え返したいと思います。現にあるこの世界とは異なるもうひとつの世界を――あるいは、その可能性の萌芽を――現にあるこの世界において見出し、それが、あたかも既に実現しているかの如くに敢えて振る舞うこと、つまり、めざされる世界を生きてみること。権力奪取によるドラスティックな全面的変革ではなく、さりとて単に夢見るにとどまるのでもなく、いまここで個々に変化への行動を起こすこと。こうした読み取り(曲解?)において、ぼくは、あなたの意見に同意したいと思います。

 一種の予示的政治[プレフィギュラティヴ・ポリティクス]ともいうべきこのような発想は、たとえばジョン・レノンとヨーコ・オノがヴェトナム戦争終末期に発したWAR IS OVERというメッセージや、「見たいと思う世界の変化に、あなた自身が成りなさい」というマハトマ・ガンディーの主張に通ずるところがあり、また見方によっては――あなたは眉をひそめるかもしれませんが――アドルノら西欧マルクス主義者たちにみられる「現代社会にひそむユートピアとしての潜勢力への固執」(マーティン・ジェイ)とも相通ずるところがあるように思うのですが、しかし、アドルノらの重苦しい哲学的伝統とも、植民地体制下のガンディーのカリスマ性とも、ジョン・レノンのスター性とも無縁な日本の美術大学というこの場所で、それを、どのようにして実現してゆくか?それは如何にして可能なのか?

 ぼくは、これを探るために、べつだん創見ともいえない現代美術=ブリコラージュ論を敢えて展開してみたのですが、工業社会においてホビーもしくは暇つぶしとみなされてきた器用仕事[ブリコラージュ]を、スター性やカリスマ性や近代的理性に拮抗しつつ、現にある世界を乗り越えてゆく手段としてまっとうに復権させるには、速度体制[ドロモクラシー]下の市場社会に組み込まれてしまった――あるいは、そうした市場社会を内に組み込んでしまった――芸術の社会的経済的政治的在り方に対する予示的政治[プレフィギュラティヴ・ポリティクス]の実践が――たとえば「贈与」にかんするそれが――必要条件となるであろうことは、まずまちがいないところだと思います。

公開往復書簡というのは、舞台上での囁きのような難しさがありますね。だから、あなたがとっくにご承知のはずの事柄を、ながながと解説するような書き方になってしまいました。どうかご諒解ください。

 こんどは、あなたに倣って、ささやきが、そのままささやきでありうるような素敵な手紙を書いてみたいものです。あるいは、速度体制[ドロモクラシー]を振り切る軽快な速度術[ドロモロジー]を以て単刀直入な手紙を差し上げるべきなのかもしれません。しかし、この拙文をざっと読み返してみて思うに、そのためには、なによりもまず、ぼく自身がガンディーの教えを実践する必要がありそうです。

 どうか、よいお年をお迎えください・・・・・と書いて時計をみると、もう2010年代に突入していました。この新しいディケイドも、どうかよろしくお付き合いください。 

 では、ちかいうちに、また大学で。


北澤 憲昭